もうどのくらい前にここに日記を書いたのか覚えていない。
一時期かっこつけて整理するために消した日記もあるので、日付を確かめることも出来ない。
取り敢えず、長くなることが分かっているから、ここに記そうとおもう。
それが、原宿という人の溢れるまちで見た、遠いようで近い、そして近いようで遠い、友達の誕生日という記念すべき日に開いた素敵なライブを見たせいなのか。
はたまた、今年で6回目を迎える用賀という世田谷の一区画で行われた学生たちの夏の思い出(フェスティバル)を見たからなのか。
このパソコンに向かうまでに頭と心にわきあがる感情が多すぎて整理し切れていない。
これから書くことも整理されていないし、きっと無駄に長いだろう。
思えば、高校生までは自分を表現するということに臆病だった気がする。
どこか人目を気にして、会話自体も粗末なもので、とっても真面目で不器用で。
大学に入って、テニスサークルに入って、絶対的な、そして一生涯なかよくできると信じた仲間たちが出来た。毎日毎日、勉強もしないでテニスに明け暮れて、全力でテニスをして、全力でお酒を飲んで、全力で人を好きになった気がする。そこに自分らしさがあったのか。わからない。でも、下田らしいというキャラクターはあったような気がする。
のめり込み過ぎるのが自分の悪いところ。結局、運営の代まで続けて代交代まで在籍しながら中途半端な形でサークルを去り、今ではそのサークルに顔を出す資格はない。今おもえば人のせいにしたことも多い気がする。我ながら情けない。多くの先輩・友達・後輩を失ったのは自分のせいだろう。
結局、「留年」というプレゼントと「人間不信」というオマケまで付いたが、人生について深く考えることとギャンブルの恐さを知った。
親に無理を言って進んだ大学院という道は、心に某バスケットボールの漫画ではないが、「がけっぷち」という言葉を背負い、自分の専門と関係することなら何でも参加し学ぶという決意と、そこから生まれた沢山の出会いを手に入れることが出来た。
「ランドスケープ」「桜丘すみれば自然庭園」「こちらセタガヤ暮らし研究所」という3つの大きなキーワードは今でも自分の人間関係では核となるものだ。
人間関係が広がれば広がるほど、自分を表現していく場が増えていく。
いつからだろう。人の輪の中心にいたいと思うようになったのは。
いつからだろう。自分というものを人に知ってもらいたい欲が強くなったのは。
いつからだろう。表現するということに興味を持ち始めたのは。
大学生時代に広がった関係がやっぱり人生では大きいのかもしれない。いまでも連絡が取れる仲間たちは、それが例え先輩であろうが歳の離れた後輩であろうが大事な宝物だ。
憧れていた設計業界、大好きな音楽とまちづくり両方に関われる会社、高級ホテルのウェイターのアルバイト。
そんな経緯を経て、いま自分は商店街という場所に深く関わっている。自分をこの会社に呼んでくれたのは、学生時代に世田谷で出会った人だった。ひと言で言えばイベント屋であり、まちづくりにドップリの人だ。
商店街はいい。とにかく人があたたかい。みんなは隣の家に住んでる人の顔をしっているだろうか?話したことがあるだろうか?体調を気遣ってあげたことは?そして、一番大事なこと。自分の地元のことをどれだけ愛してますか?
うまく言えないけど、商店街の方々と仕事をしていると、気付かされることは信じられなくらい沢山ある。サラリーマン・会社員にゃわからんだろう。
社会人になっても、業界にしばられないで、多方面との付き合いを望んでいたら、気付いたら大事な奴らがいっぱいできて、気付いたらテニスサークル時代の仲間と飲みに行っていた。
今まで貯めてきた自分の中の引き出しにある経験と想像力から、短い文章にするということをするようになった。最初に始めたのは大学1年だけど、本格的には数年後。
今その一瞬を切り取るという「写真」という趣味も一眼レフを買ってからはドップリ。
声が低くて、別に上手くもなく、カラオケが苦痛だった「歌う」という行為も仲間に恵まれて楽しいと思えるようになった。今じゃ夢はいつか人前で歌うことだ。
自分を表現する方法は人様々でであって、それは日々デスクに向かって働くことの中にあるかもしれないし、歌うことの中にあることかもしれない。演じることで。撮ることで。描くことで。
みんな、それぞれ得意なことで表現しているなと考えてたら、気付いた。自分の得意なことで表現したいのじゃなくて、そのときの感情にあった表現方法で自分は表現したいんだって。
だから、と~ってもきまぐれだけど、写真も撮るし、詩も書くし、絵も描くし、バスケもする。歌も歌いたいし、ダンスもしたいし、舞台にも立ちたい。英語も韓国語もイタリア語もしゃべれるようになりたいし、様々なモノをデザインするということにも関わってみたい。ここじゃ書ききれないくらい、出来るようになりたいことがある。
プロフェッショナルになりたいんじゃない。どんなときでも相手に合わせられる引き出しを持ちたい。みんなが笑っていられる場に関わっていたい。だから表現方法は1つに絞れない。プロではないけど、最低限以上のスキルをちょこちょこ身につけていたい。
それがきっと下田健人という人間だから。